第2回Zoom未来コミュ <集客のお話>07/18(水)12:30~ 
なぜ未来模型師が誕生した?

「太陽と愛」

 

10歳の時、担任の先生から頂いた言葉です。
 
先生は、転校する私に絵を描き、
寄せ書きにしてプレゼントしてくれました。
 
文殊菩薩様のお顔です。
 
恥ずかしながら24年振りとなる2018年に、
家族の集うリビングに持って来ました。
 
24年前に誓ったことを思い出したからです。
 
 
 

「もっと美しく暮らしやすい”まち”を創ります」

 
 
先生の遺影に誓ったはずのに・・・
 
 
惜しくも、
先生と過ごした町、岩手県釜石市は
東日本大震災の大津波に飲み込まれた町のひとつです。
 

私は町のために何もできませんでした。

 
2002年、模型職人として独立し、
2011年、仙台に3年移り住んだ時も同じです。
 
復興住宅や新庁舎の計画で
関わることはできたとしても
自ら活動できたことは何一つなかったんです。
 
 
それでも、先生は、
満面の笑みです。 
文殊菩薩様

心の底からの笑える・・・

 

 
相手が笑っている姿だけじゃなく、
私自身も笑っていること。
 
私が笑えなければ
目の前の誰も笑えない。
 

ともに笑えるサービスってなんだろう・・・

 

 それが
「未来模型師」が生まれるきっかけでした。
 

未来模型師誕生までの軌跡

 

2000年、体調不良で設計事務所を辞めて
CADオペーレーターとして
図面描きのお仕事をしていました。
 
が、頂いたお仕事は、初日から
 

模型^^;

 

その時は、
まさか本業になるとは思っていませんでした。
 
なぜか、
模型のお仕事があちこちから続きました。
もちろんプロではありません。
 
「もしかして向いているかも・・・」
 
そう勘違いした私は、

派遣では珍しい模型製作の管理職に就くことに。

 

大手設計会社の模型室で、
模型製作以外にも
アルバイトさんの管理やスケジュールや模型の管理まで2年間
就かせて頂きました。
 
勤務期間に独立開業したのは2002年。
最初は月10万円にもならず
派遣報酬の4分の1ほどでした。
 
 そこにやってきたのが、

100万越えのマンション模型のご依頼。

 
それまで10万円すら越えたことがなかったのに
いきなり10倍以上の価格での受注です。
 
ウハウハ浮かれました。
 
が、
フタを開ければ
 
効率も悪かった、
人件費も掛かった、
もちろん、粗利も低かったし
納期もギリギリ・・・(冷汗)
 
 

初めてお金のことを真剣に考えた瞬間でした。

 

知識もない、
 
アイデアもない、
 
お金もない。
 
 
何をすればいいのかなんて
全く分からず
思考停止した時間を何日か過ごしました。
 
お金の勉強をすべきか?
今の自分の状況分析か?
建築知識をもっと磨くか?
 
それから行動に移すのには
さほど時間は掛かりませんでした。
 
ネットや本で調べる環境にいなかった当時の私は、
できることが1つしかなかったのです。
 
 

選択はシンプルでした。

 
自分の苦手なもの、いやなものは
片っ端から捨てて、
 

「やりたい模型だけをやる」

 
それだけです。
 
 
その結果、
 
模型すらも絞り込んで、
住宅白模型職人として再スタートしたのです。
 
手作りのサイトも白い住宅模型の写真しか
載せなかったのです。 
 
 

効果が現れたのはすぐでした。

 
 
東京電力CM企画関連会社様より

「CMに使える白い住宅模型はありませんか?」

 
 
専門誌【建築知識】で知られる
株式会社エクスナレッジ様より

「模型特集号でDVD講師をしませんか?」

 
 
東京ガスショールーム企画担当者様より

「専門家セミナーの白模型講師をしませんか?」

 
 
有名デジタル誌記者様より

「白模型とアプリについて取材しても良いですか?」

 
 
東京大学准教授より

「白模型製作とアドバイザーはできませんか?」

 
 
東日本放送様より

「ガウディ展特別番組で白模型カサ・ミラと出演しませんか?」

 
 

それらすべては白模型専門だったため

オファーを頂いた案件です。

 

 
その中から、
すかさずビジネスへ転換したものが
数点あります。
 
ニッチすぎて10年経った今でも
その内容はお伝えできません。
企業秘密です^^;
 
とはいえ、
例を1点挙げると
 

セミナーの企画開催兼講師

開催30回以上、参加者200名以上

 

無料開催から有料開催、
プロを目指す方も現れ、
高額講座へも発展しました。
 
「これならなんとか軌道に乗るんじゃないかな?」
 
そう楽観的に捉え、
小さいながらも部屋を借り、
模型を学びたいという方もオープンに迎え、
毎日忙しい日々を送るようになっていました。
 
 

金融危機、大災害、そして・・・

 

なんとかなると思ってはいながらも、
その期間、マイナス要素がなかったわけではありません。
 
 
2008年リーマンショック。
 
アメリカの投資銀行
リーマン・ブラザーズ・ホールディングス
が経営破綻したことで起きた
世界規模の金融危機。
 
「模型の仕事、大丈夫?」
 
「はい?」
 

経済に盲目な私が浮き彫りでした。

 
模型業界は、
建設業界の経済事情を
3か月遅らせた感じで情勢が変化します。
 
ところが、
リーマンショックは金融業。
無知な私は全くのノータッチで
影響なんて考えていませんでした。
 

すべてはつながっているのに・・・

 

年明けにはお仕事は激減。
毎年売り上げが上がっていたのですが、

2009年の売り上げは2008年のほぼ半分

にまで落ち込みました。
 
もちろん、
世界規模な出来事ですから、
周りでも倒産の声が日々聞こえてきます。
 
2010年も売り上げは戻らず、
 
アルバイトや派遣社員の仕事で
生活を繋いでいた時期も。
 

「どうしよう・・・」

 
模型しかできない自分は
とにかく受注できるものはしようと、
住宅白模型以外もつくり、
 

その道のプロフェッショナルから遠ざかり始めたのです。

 

2011年、東日本大震災

 

神奈川県にいた私は、
マンションの7階にいました。
 
その揺れは誰も忘れるものではないはずです。
 
テレビが映し出す津波の破壊力。
その映像を集会室で眺める住人の高齢者の方々。
 
当時、岩手県の実家への連絡は
電話だけでした。
発生から1週間後にやっとつながり、
無事を確認できました。
 
そんな時、
skypeにこんな連絡が入りました。
 

「大阪に模型を届けて欲しい」

 
宮城県からのSOSです。
 
大阪へ発送する予定だった模型が
この地震で送れなくなったのです。
 
すぐさま製作に移り、
2日後には発送。
大阪に到着したのは
それから10日後のことでした。
 
シビアなことですが、ビジネスです。
 
それからの2カ月で

入った依頼はこのSOSだけでした。

 
もう、生活できません。
 
選んだ道は、
そのSOSを送った模型屋さんのいる
宮城県へ移転することでした。
 
実は前からお誘いを頂いていたのです。
 
そこでの生活は
震災から半年で爪後も残っていましたが、
ビジネスはそれほどひどいものではありませんでした。
 
なぜなら、
復興景気が徐々に本格化し
始めたことも多少ありますが、
 

仕組みが成り立っていたからです。

 
その模型屋さんのビジネスの仕組みが
すでに出来上がっていたです。
 
震災直後にも関わらず、
独自の製作技術と営業力、
集客センスとマインドが
模型屋ビジネスを成立させていたのです。
 
もうひとつ、重要な要素がありますが・・・
 
 
そこで学んだことは
大きなことだったはずです。
 
が、

当時の私は何も気づかず、

模型のスキル、ビジネスのノウハウを
あれやこれやとつまみ食いする

ノウハウコレクターとなっていました

2014年3月、目がかすむ

 
「疲れ目?」
と思っていたのですが、
1週間であっという間に視力が落ち、
仕事ができないくらいにまでなったのです。
 
近くの眼科へ。
 

「中心性網膜症ですね」

 

「片目でよく見てみてください」
 
言われるがまま、
目の前の扉を眺めると・・・
 
「扉が歪んでる?」
 
そう、それが私の眼の病気。
 
治らない病気ではないのですが、
私の場合、
投薬では改善が見られず、
 

「手術を選ぶか、一生付き合うかの選択ですね」

 
未だビジネスが回らない私に、
手術の道はなく、
付き合っていくことを選択。
 

見えるものが歪んだまま
模型を作ることになったのです。

目の病気になる前後、仙台でビジネスも学んでいました。

 
3年間、宮城県仙台市で生活しました。
そこでの経験は良くも悪くも貴重。
 
特に、
 
コーチング
ネットワークビジネス
ネットビジネス
 
については学びが多かったんです。
 
ここでは詳しく話しませんけど、
 
人間関係の考え方の違い
ビジネススタイルの違い
関わる人たちの価値観
お金の知識
 
 
随分苦しめられました^^;
 
結局うまくいくことは何一つなく、
眼も悪くなり、

人間関係にもかなり疲れたのが
この時期でした。

 
後にその経験が
随所で良い味を出し始めるのですが・・・
 

初めて極限を考えました

 

極限とは、
 
材料がない
手が動かない
眼が見えない
 
すなわち、
 
模型が作れない時のことです。
 

「私に生きる価値があるの?」

 

どうすれば
息子と妻を幸せにできるの?
 
と本気で考えるきっかけになったのが
自分自身の健康に異変が生じた時でした。
 

不況でも、震災でもない、健康の異変がきっかけでした。

 
正直にお話しします。
 
 
私は 会話が苦手でした。
でも、社会に貢献したい
 
私は 人が苦手でした。
でも、美しい街に住みたい
 
私は 自己主張が苦手でした。
でも、自分を発掘したい
 
 
不況も、震災も、
怖くてマイナスにしか考えられませんでした。
 
 
何が怖いか?
 
それは
 

何もできない自分を知ること

 

会話もできない、
人とも会えない、
自己主張もできない・・・

 
 

でも、
 
自分自身が健康を害して気付いたんです。
 
 
外的要因(災害・不況など)を加えられても、
ベクトルは自分にしか向きませんでした。
 
 
それが、
 
 
内的要因を加えられたとたん、
ベクトルは外に向き始めたのです。
 
 
どういうことかというと、
今までのすべては自分を中心に
考えていたんだってことです。
 
フォーカスする方向が変わったんです。
 
その瞬間、
 

ベクトルに変化を与えれば
望む未来の「収入と人生」を
引き寄せることができる

 
そして、それは
 

まさにしかできないんです!

 
それからです。
私がYoutubeに 動画をアップし始めたのは。
 
2014年5月でした。
 
余計に人と会ったり街で活動したりせず、
黙々と動画を撮ってアップしていました。
  
 模型の作り方を知りたい人に
この動画が届けばいい。
 
 
ところが、
 
何をアップして良いのか
何を求められているのか
 
何より、
 
「誰に何を解決してもらいたい?」
 
「俺自身どうなりたい?」
 
がまだはっきり見えていません。
 
 
動画が100本を超えるまでは
ほとんど反応もなく、
 
「やっぱり幻か・・・」
 
と、めげたこともありました。
 
 
2015年10月、
チャンネル登録者が100名を越えた頃、
転機が訪れました。
 
動画にコメントが付くようになり、

動画に価値がつき始めたのです。

 

テンションが上がり、
そのうちモチベーションへと変わり、
より大きな価値を持たせようと努力を始めたのです。
 

ちょっとお話を戻します。

 

リーマンショックの時、
 
「経済に盲目な自分」
 
に気づいたはずなのに、
未だに行動から抜け落ちています。
 

経済に左右されない良質な商品

 
を創り出す必要があります。
 
少なくとも経済の波に人生を左右されない
安定した収入を得る道を開拓しなければ
数多の不安は消えません。
 
動画を撮り始めて
経済社会にも目を向けるまでに
2年半も掛かった私・・・。
 
 
相当のおバカですが、
 
なぜ、
 
2年半後に

未来模型師としてスタートを切れたのか?

 
 
ちなみに、
 

未来模型師の価値を決定づける事件ベスト5

 

1.模型を作って設計事務所を替えてしまった話
2.ガウディ展がきっかけの斬新シンプルなセミナー
3.成約率ビフォーアフターが目に見えて改善した話
4.サイコロを作るとパートナーが飛躍する話
5.動画から飛び出したママ模型士の話
 
も重要なお話なのですが、
それはまた後日。
 
 
それではいきさつに戻ります。

コメントは、
解決して欲しい悩みや不安そのものです

 

その悩みや不安を解決してこそ
初めてYoutube動画に価値が生まれます。
 
ビジネスもそうです。
 
そして、いくらでも

派生します。

 

例えば、
その方が悩んでいるのは、
実は技術でも知識でもなく
 

売り上げる方法

 
だったとしたら、
その解決方法を動画にすることもできます。
 
 

1.ママ模型士が誕生しました。

 
動画を使い倒して
模型士として活躍するに至ったママが
いらっしゃいます。
 
作り方に関しては
動画があったので良いのですが、
ビジネスについては
メールでデータのやり取りなどをしています。
 
動画だけでは知りえない内容
共有して、模型士となられたんですね。
 
私もかなりの学びを得られました。
 
 

2.コメントが次の動画を生みます。

 
コメントがなければ
ネタ不足で私自身が苦しむ事にも。
 
頂いたコメントに動画で返す。
 
そうすることでまた動画が増え、
同じ悩みの方の解決ができるわけです。
 
 

3.チャンネル広告収入が得られる

 
俗にいうYoutuberです。
 
私の動画をご覧になる時、
大変恐縮ですが広告が出るように設定しています。
 
大した額ではないのですが、
今では毎月数千円を頂いています。
 
もちろん、
これで生計を立てることはできませんし
Youtuberになることが目的でもありません^^;
 
 
派生したものを収益化すればいいわけです。
実は、そう言いながらも、

2016年、安定を求めて派遣社員を始めました。

 
正確にはもっと奥深い
プライベートな事情があるのですが、
今回は関係ないので割愛します。
 
派遣で9時~18時の業務、
休日には模型製作という2足のわらじ。
 
2017年には模型の受注を終了して、
派遣業務の割合が多くなりましたが、
 

動画に関しては継続していました。

 
この間、
またしても健康上の不具合が起きます。
 
首のヘルニアです。
 
右手指先にしびれが伴う
模型職人としてダブルな災いを
背負うことになってしまいました。
 
この文章を書いている今も
指のしびれと視界の歪みがあります。
 

模型職人を辞める日が着実に近づいている。

動画を続けながらも、
突然1人で泣き出すことが増えていました。
 
まぁ、人間誰でも辛いことがあるのです。
精神的に随分と参っていたようです。
 
プライベートでも。
ビジネスでも。
 
模型職人としての立場をあきらめ、
新たな職につく覚悟もした
その時です。
 
 
24年ぶりに

文殊菩薩様が私に満面の笑みを見せたのです。

 
 

それだけです。
 
私が未来模型師を始めたのは。
 
あきらめかけていた笑顔のない私に、
本物の笑顔をくれた、
 
ただそれだけなのです。
 
 
動画の向こう側の誰かが、
悩みや不安を解決して
笑顔でいる姿に気づいたんです。
 
 
コメント欄に寄せられた
感謝の言葉が満面の笑みだったのです。
 
 
私には、
私だけが持つスキルがあります。
 
そして、
 
あなたにも、
あなただけが持つスキルがあります。
 
 
その スキルに正しいベクトルを与えれば、
私もあなたも満面の笑みになれるんです。
 
 

太陽と愛

 
 

私の顔からは想像もつかないでしょうけど(笑)
 
 

一緒にそのベクトルに乗りましょう!

 

 
 
そんないきさつではありますが、 
それだけでは先に進みづらいものです。

 

 
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